弓  野

特産の弓野人形

弓野人形の創設者は、江口亀次郎氏である。
博多より来し奥川儀太郎氏の指導により弓野人形を
確立し現在の弓野人形の生みの親である。

 中村涼庵
 
文化6年当地 弓野に生まれ、16歳で京都に出て漢方を4年間学ぶ。武雄領主鍋島茂義より長崎に派遣され西洋医術を学ぶ。
シーボルトの医術を見、種痘の研究に力を注ぐ。天保8年、領主の嫡男茂昌や家臣に接種した。
日本での種痘は佐賀本藩が最初であるとされているが、実際はそれより7年ほど早く、武雄の地で実施されており、日本の医学に多大なる貢献をした医者が西川登弓野の出身であることも忘れてはならない。

弓野窯跡群跡

椋の木公園より弓野の街並

椋の木公園の椋